歴代主将

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氏名

出身校

紹介

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初代
H23春

H26秋
柿沼 遼
(葛飾野)
1期生5名で始まった時から卒業までの8シーズン主将を務めた。主なポジションはピッチャーとショート。 最初の1年間は対外試合もできず、他大学との合同練習などでしか実践感覚を養えなかったが、それにもめげずに練習に打ち込んだ。初めての公式戦は2年春、部員13名で臨んだ4部リーグから。人数も少なく、ピッチャーとしても内野手としてもフル回転して活躍をした。 部員が増え、自身のケガも重なり出場機会が減っていく中でも、チームを客観的に見続け、言葉やプレーへの姿勢でチームを引っ張り続けた。 準備中
第2代
H27春

H27秋
林 颯一郎
(錦城学園)
入学当初、身長はあるものの、線が細く非力だったが、真面目な練習姿勢が成長へと繋がり、入学から卒業までの間に10キロ以上の増量に成功した。 練習への取り組みは試合で結果として表れ、2部リーグでは初回先頭打者ホームランを放つだけでなく、出塁率が5割を越えるリードオフマンとしてチームを引っ張った。 ポジションは主にファーストを守ったが、最初の頃は外野手としての出番も多かった。足も速く、正確な送球が魅力的な選手だった。 準備中
第3代
H28春

H28秋
福士 史成
(修徳)
熱血漢という言葉が良く似合う選手で、1年生の時からレギュラーとして活躍し続けた。打線では上位を打ち、守備ではサードを守り続けた。 ずば抜けたスイングスピードから放たれる打球は、いとも簡単に外野手の間を抜けていった。各プレーに荒さが目立っていたものの、真っ直ぐな性格と練習への姿勢が、これからの成長をより楽しみにしてくれる選手だった。 卒業後はルートインBCリーグの福島ホープスに入団し、東洋学園大学史上初のプロ野球選手となった。 準備中
第4代
H29春

H29秋
比嘉 仁人
(柏日体)
1年次からスタメンとして活躍し、セカンドを中心に守りの要として活躍した。 選球眼の良さと足の速さに定評があり、当初は繋ぐ役に徹することが多かったが、打撃への高い向上心を持ち続けて練習に取り組み、4年次には3番を任されるようになっただけでなく、試合でホームランを打てるまでに成長した。守備に関しては誰にでも厳しく、二遊間を4年間組んだ同級生の岩浅と、チームの守備力向上に大きく貢献した。 4年秋には2部で自身初タイトルである盗塁王を獲得している。 準備中
第5代
H30春

H30秋
上野 浩孝
(霞ヶ浦)
見る力と考える力を強みとし、歯に衣着せぬ物言いで、自分の意見をハッキリと伝えられる選手だった。 大学4年次には、大学からグラウンドへの移動時間が長くなり、短い時間の中でどうしたらチームが良くなるかを考え続け、練習メニューの作成の仕方などのチームの基礎を作った。 キャッチャーとしては、強気な性格でピッチャーを引っ張る女房役としてチームを引っ張り、バッティングでは長打力もありながら、右打ちを得意とするテクニカルな選手だった。 準備中
第6代
H31春

R1秋
髙嶋 幸太
(日本文理)
口数はあまり多くないが、練習や試合への姿勢と、簡潔な言葉でチームの雰囲気を締められる選手だった。 3年次の秋季2部リーグでは3割4分9厘と高打率を残したため、主将になった翌シーズンからは厳しい攻めに苦しんだが、チャンスでの一打、ピンチでの好守と、ここ一番の強さが光る選手だった。 主に外野とファーストを守り、安定感のあるプレーでチームを支えただけでなく、学年関係なく「兄貴」と頼りにされる兄貴分として精神的にもチームを支えてくれた。 準備中
第7代
R2春

R2秋
渡邉 陸
(横浜)
入学時から力強いスイングを見せ、上位打線を引っ張るキーマンとして早い段階から活躍をした。また、内外野を器用にこなしていたが、最終的には、武器の1つでもある足を活かした俊足巧打の外野手として活躍した。 3年次の春季2部リーグでは3割7分5厘と高打率を残し、続く秋季2部リーグでは、3本のホームランを放って最多本塁打のタイトルを獲得した。 しかし、満を持して迎えた4年次には、新型コロナウイルス感染症の影響により春・秋ともにリーグ戦が中止となってしまった。主将になってから先が見えない苦しい状況にあったが、目の前のことを一つずつクリアしていく直向きさを見せ、人としての成長を見せながらチームを支えてくれた。 準備中
第8代
R3春

R3秋
宮澤 凌
(叡明)
誰よりも練習すること、誰よりもチームの事を考えること、誰よりも勝ちにこだわること。何事においても手を抜かず、やると決めたことは苦しくてもやりきることができる、言葉にも行動にも説得力がある存在。個人能力において何か突出しているものがあるかと問われれば、間違いなく「姿勢」という言葉が出てくる。力が足りなければボールの捉え方を工夫し、スピードが足りなければ一歩を踏み出す勇気を持ち、送球に力が足りなければステップを利用するといった様に、足りなければさらに練習を増やすだけでなく、何が必要かを考えて取り入れることができる選手だった。4年秋には、2部でチームとして優勝まであと一歩届かなかったものの、自身初タイトルである盗塁王を獲得している。 準備中
第9代
R4春
中松 武哉
(大東学園)
本学硬式野球部として、初の2部リーグ優勝を10勝0敗という成績で成し遂げた。投手と野手が半分ずつの学年であり、またレギュラーとして活躍する選手が少ない学年ではあったが、面倒見の良い学年としてチーム全体を支えた。個人としては、チームの事情もあり、捕手や内野手、外野手と様々なポジションでプレーしたが、最後は外野手としてプレーした。持ち味は元気とバッティングである。 準備中
第10代
R4秋

R5春
清水 宏大
(狭山清陵)
2年生の春からマスクを被り、攻守に渡ってチームを支えた。入学当初から強気で勝気な性格は、学年関係なくぶつかりはしたものの、学年が上がるにつれて少しずつ周りを引っ張る力に変わっていった。自分にも他人にも厳しく、中々結果が出ずに苦しんだ時期もあったが、下を向くことも足を止めることもなく取り組み続けた。普段の強気な姿勢とは裏腹に、リードは非常にオーソドックスな慎重派で、バッティングも右打ちを大事にできる繊細なタイプ。 準備中
第11代
R5秋
恩田 隼
(修徳)
2年生の春から主にセカンドを守り、堅守速攻を掲げる本学のスタイルを体現してくれた選手。真面目で優しさが滲み出る性格で、多くの部員たちに慕われていた。チームの精神的支柱であり、守備面においては、基礎を大切にしているからこその球際の強さと、正確なスローイングで試合を支えてくれた。打撃面では、リストの効いたシャープなバッティングで、繋ぐ野球を表現してくれたりと、チームにとって欠かせないピースとして活躍してくれた。 準備中
第12代
R6春
和智 晃汰
(鷲宮)
1年生からベンチ入りし、学年を引っ張る存在として全力で駆け抜けた。主にサードを守り、生真面目な性格は手堅い守備姿勢に表れ、学年を引っ張る責任感は声に表れていた。2部優勝経験者の主将として、不退転の覚悟を持って臨んだ4年生の春季リーグ戦では、全10試合で48打席35打数15安打10四死球で、打率.429、出塁率.532、OPS1.10という好成績を残した。なお、10試合連続安打を記録し、全試合で存在感を示している。タイトルには恵まれなかったが、走攻守において高いクオリティを発揮し続けた中心プレイヤーである。 準備中
第13代
R6秋

現在
益子 要
(東海大山形)
活動中 準備中